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  • 執筆者の写真裕希 山路

どんな店をやりたかったんだっけ

「やまじくんはどんなお店を作りたいの?」

23歳当時、働かせていただいていたカフェの社長と2人でお話しする機会があり、その時に聞かれたことです。 僕なんかの話をどうして聞いてくれるのだろうと当時は不思議で、いまだに印象に残っています。 1番上の人が1番下の人の「夢の話」を聞いてくれるとは思っていませんでした。想像していた会社の形と全然違うぞ、と。社長と話す機会がないのが会社、っていうイメージでしたから。 それより何よりきちんと答えられなかったことが悔しかったですね。 「あれ、自分は本当に店をやりたいのだろうか?」と。 大したヴィジョンもないのに恥ずかしげもなくよくも店をやりたいなんて言ったものだな、と。

真相は闇ですが、僕は歴代のスタッフの中で1番厳しく教えられたようです。 本気で店をやりたいのであればなんとか一人前にしてあげねばという火がついたのかもしれません。

その社長は夜の仕事からレストラン、イタリアンまでいろんなものを経験してきた方だったので本当に学ぶ事が多くて、いまだに教えを乞う事があります。 「愛さんならどうするか」。

東京に越してきてからすぐ

当時、無意識に帽子を取らずに帰りの挨拶をした事があったのですが、それはもう怒られました。しかも静かに怒るので余計怖い。 「若いからって舐められたら嫌でしょう?」 その社長は女性で若くして起業しているものですから性別や年齢で判断されることも多かったのだと想像します。 そういう惨めな思いをさせたくなかったのだと思います。

そのずっと後、別の先輩と初めて食事に行く機会がありました。 今だとメンターと言うんですけど自分の行動を決定する指針となる人のことですね。 その先輩との待ち合わせで帽子を取って挨拶をしましたら 「それなかなかみんな出来ないんだよね、すごいね」と。 あ、そういう部分で人を判断している人たちが一定数いるんだな、とその時実感しました。帽子を取る、それすらできないやつからふるいにかけられていくのだな、と。 そして、結構いるんですよね。残念なことに。

さて。

話は最初に戻ります。

僕はどんなお店をやりたかったのだろう。 「自分が行きたいお店」という曖昧な答えをしたのを覚えています。

何にもなかったんです当時は。今もだけど。 自分のことなんて自分で全然わからない。

「やまじくんはどんなお店を作りたいの?」

今もずっと考えています。

3店舗目ですけどね。これでいいんだっけ?と揺れながら、日々進んでいる、という感じです。

instagramもやってます

店主のアカウント https://www.instagram.com/yamajiyuki/

宮城県の店舗JAMCAFE https://www.instagram.com/jamcafe_jp/

東京店舗PENITENT https://www.instagram.com/penitent_jp/

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